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zoom RSS 昭和の子どもたち(13) 戦後の混乱期を生きる

<<   作成日時 : 2012/10/23 22:31   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 249 / トラックバック 0 / コメント 34

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   ≪過去の画帳より リニューアル前の東京駅≫
「国破れて山河在り」といった牧歌どころではありません。都市は破壊し、農村は疲弊、・・・明日をどう生きるか・・・。
子どもたちを取りまく環境も、終戦を境に180度変わりました。

まず、学校の教科書の「墨ぬり」から始まります。



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                 墨ぬり前の教科書⇒墨ぬり後の教科書
6年国語の「世界一の織機」は、ほとんど墨でまっ黒に。


終戦後、GHQ(占領軍)の指令により、小学校の本格的な授業は、教科書の墨ぬりから始まった。

教師の指示で生徒は教科書の文字を消していく。

ここではトヨタの創業者・豊田佐吉を財閥として抹消される。


・・・このようにしてGHQは、実際に、日本の軍国主義とみなす背骨を

ひとつひとつ排除していった。        



           ★     ★     ★


以下、戦後の混乱期の子どもを取りまく出来事を、「住・食・遊び」から眺めてみることに。


        ▼ 住

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                    廃車のバスが一家の宿に。

遅配、欠配がちの食糧。 この日はようよく甘藷が配給となる。


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                    焼け跡のバラック住まい。


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                 雨の日はバラック小屋の排水が大変。


                       家のない戦災孤児たち
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           拾った吸い殻を吹かし、かたわらでは、すきっ腹を抱える。

東京では、1万人を越える、身寄りのない戦災孤児がいた。

駅の地下道などをねぐらにして、闇市や盛り場に群らがる彼らのなかには、

悪の道に足を踏み入れる者も少なくなかった。


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                      放送劇「鐘の鳴る丘」。

昭和22年から3年間にわたり、NHKで放送された「鐘の鳴る丘」は、

戦災孤児の救済をテーマとする番組として、

子どもはもちろん大人のあいだでも圧倒的な人気を得た。

ひとはラジオの前で、ときに笑い、ときに涙した。




          
        ▼ 食


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                  三度の食卓にはおきまりの雑炊。



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                     親子三代が集う農村の夕餉

農村といえども、当時は文字通りの一汁一菜の質素な食事内容だった。


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                         買い出し列車。

配給制度が破綻しかけた都市では、食料を求めて人びとは農村へ押しかけた。


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                  列車に殺到する買い出しの人たち。

       誰もが命がけだった。


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                    買い出し帰りの一家。

ケイザイ(取締りの警官)の目が光っていたので、帰宅の道も油断なく急いだ。




      ▼ 遊 び

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                       瓦礫の壁にらくがき。


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                         長馬(ながうま)遊び

   ジャンケンに負けると馬になった。


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                      通りゃんせ、通りゃんせ・・・

主に女の子の遊び。

長馬にしろ、お金のかからない遊びだった。


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                       メンコの一騎打ち。

 バラック建ての盛り場の昼間は、子どもたちの格好の遊び場となった。


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                     まり突きの小さなマジシャン。


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                          草履づくり。

農村では、共同作業場に子どもたちが集い、藁草履や縄などをこさえて過ごした。

遊びと実益が結びついていて、わざを競い合いながら楽しんだ。


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                      早春の山菜取り。    

ワラビやゼンマイなどは干して年間の食べ物として備蓄した。

子どもたちの山遊びも実益をともなっていて、親たちに歓迎された。





当時、誰もが口にした流行歌「りんごの歌」

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                  リンゴの歌 サトウ・ハチロウ作詞 

     赤いリンゴにくちびる寄せて
     だまって見ている青い空
     りんごはなんにも言わないけれど
     りんごの気持はよくわかる
     りんご可愛や
     可愛やりんご



 りんごひとつ満足に口に入らない時代。さっそく皮肉ったパロディが・・・

   
     青い顔して露店のまえで
     だまって見ているまっ赤なりんご
     りんごはほしいが とっても高い
     ほしい気持はよくわかる
     りんご高いや
     高いやりんご




                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


★ 写真等参考資料


 土門拳「土門拳の昭和 2 」 小学館

 「日用品が語る五十年」 平凡社

 「昭和の子どもたち」 学研

 「暮しの手帖 特集’96 」 暮しの手帖社

 「写真・図録 近代日本史 10 」 国文社

 「写真記録 昭和の歴史 3 」 小学館









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コメント(34件)

内 容 ニックネーム/日時
幼少時少年期はこの通りでしたね。
米粒よりカボチャ、サツマイモ、ジャガイモ、大根などの野菜のほうが多かったですね。兄は嫁さんに「オレの前にカボチャを置くな」と言い続けてきたそうです。
また囲炉裏は農家にとって生活の中心場でした。囲炉裏端で石臼を回す母を手伝いながら居眠りしてイヤというほど額をうちつけたことも。柴刈り縄ないワラジを作り筵織りもしましたよ。そんなこんな人生共々みんな夢の夢ですね。今の時代に何が伝わるでしょう。いえ、それでもなお記録し、伝えなければなりませんね。

2012/10/24 00:51
教科書の墨塗りって生徒たちがやったのですか!
あのページは読むところが無くなってしまいましたね。
戦後しばらくたってから生まれましたので、ひもじい思いはしませんでしたが馬跳び、通りゃんせ、通りゃんせ・・、おしくらまんじゅう、だるまさんが転んだ、などお金のかからない遊びはしましたよ。
今の子たちは知ってるのかな?
日本中が今のように豊か(金銭的、物質的)ではなかったけれど、それなりに楽しく遊びました。
いつもトップの絵がいいです。
私は絵が描けないので羨ましい。
かっちゃん
2012/10/24 13:31
こんにちはo(^-^)o
理由もわからず墨で消されても 消した言葉は覚えますよね。
白黒の写真は決して豊かな時代ではないけれど モノに溢れた現代よりも 違うものが豊かなように思いますね。
にゃーちゃん
2012/10/24 17:33
国語の教科書 墨で黒くしたもの見たような記憶あります。

鐘の鳴る丘 懐かしいです。
ラジオにかじりついてきていましたね。
shuuter
2012/10/24 18:55
GHQ、聞いたことあると思いましたら、先日NHKで吉田茂のドラマ「負けて勝つ」のなかに出てきました。戦災孤児、悪の道へいってしまうのも無理はないように思います。自分で生きていかなければなりませんから。胸が痛くなるようなことばかりですね。
はるる
2012/10/24 19:26
今晩は。
リニューアル前の東京駅…素敵ですね!
ほとんど思い当たります。
長馬遊びは男の子がよく遊んでいました。
鐘の鳴る丘は老人ホームで利用者さんと歌うことがあります。
ラジオドラマは笛吹き童子は時間になるとラジオの前で聞いた覚えが
未だにメロディが出ます。
リンゴの歌 サトウ・ハチロウ作詞 ・・・懐かしいです。
サトウ・ハチロウさん、縁あって連れ合いの名付け親なんです。
婦人雑誌の募集だったと義母から聞いています。(笑)
やろい
2012/10/24 19:31
minocさん、こんばんは。
鐘の鳴る丘というタイトルは聞いたことがありますが、ラジオ放送はさすがに聴いてないです。昭和30年代後半、「もはや戦後ではない」「三種の神器」以降ですから・・・。
長馬遊びですか、それは私たちが子供のときにもまだありました。めんこ、ビー玉、とおりゃんせ。。。
戦後のご苦労された方たち、親をなくした子供たち、語りつくせない思いを抱えて生きていたんでしょうね。。。
黎明
2012/10/24 20:56
今晩は〜
早速リクエストにお応え頂き有難うございました。
もしかして?と思い今朝の通勤電車の中で先ずは映像を
確認させて頂き、自宅に戻り今一度映像を確認
させて頂いております。素晴らしいです!
有難うございました。

貴殿の文章からはいつも悲惨な戦争について
あれこれと考えさせられます。
戦争は終わっていないんですねぇ〜
戦争による精神的な苦痛とは??
現在考えさせらております。
11月9日より東京地裁で審議が始まるようです。
私は当然ながら、日本人として展転社支援の立場です。

あまり政治的なお話をブログではしたくないのですが・・
日本の司法がどのような結審をするのかはとても
興味があります。ご存知だとは思うのですが、
下記にアクセスして見て下さい。
http://tendenco.jp/event/saiban3.html
火龍果
2012/10/24 21:15
おはようございます
勉強になりますね!知らなかった事も多いし
この遊び私が幼少の頃遊んでましたよ
懐かしいなぁ〜
ねこちゃん
2012/10/25 10:34
食料不足の時代にも、
カツオ君、ワカメちゃんが
元気に遊んでいますね。
買い出しの苦労は、
親からよく聞かされました。
カボチャなんかもう見るのも嫌と
いう人が、昔はけっこういたと思います。
yasuhiko
2012/10/25 15:24
龍さん、ようこそ。
かぼちゃなんか入った雑炊ばっかりの食事でしたね。雑炊食堂に並ぶにしても、○○屋は××屋より立てた箸の倒れ方がゆっくりだった、つまり具がより多く入っていた、でも××屋は行列が少ない、などと各店の情報を交換していたそうです。昭和30年代までの農村の子どもたちは、見事な手つきで縄を綯っていましたね。そんなところを、今の子どもに見せてやりたいです。
minochan
2012/10/25 21:26
かっちゃんさん、ようこそ。
そうなんです、6年国語の「世界一の織機」は最初の1行を残して2ページ丸ごと墨で塗りつぶされました。負けた国が世界一とはなにごとか、というわけでしょうが・・・
(でも、今、まさに世界一のトヨタですから、まあいいとしましょうか)。長馬跳びやおしくらまんじゅうなんかを、やりましたか。お金をかけなくても、いくらでも遊がありましたね。東京駅は、全面建て替え反対の集まりの中で、描いたものです。
minochan
2012/10/25 22:02
こんばんは
気持玉をありがとうございました
トップになっている絵が素敵なので、ずぅ〜っと日記をさかのぼっていってました〜。私は小さい頃から本当に絵が苦手なので、上手く描ける方がとってもうらやましいです(*^^*)
私が物心ついた頃には、混乱期は落ち着いていたように思いますが、外遊びは一緒で馬とびやてまり遊びをやってました♪
若い時には○年生まれ以降は新人類とか呼ばれたこともありましたが、遠い昔の話です、もう死語になってるでしょうね(^^;)
sumire
2012/10/26 01:05
改装前の東京駅。 いつもながら素敵な絵ですね^^

教科書が黒塗りされてるのは朝ドラで見ました
本当にそんな時代だったんですね

戦後の遊びは私の子どもの頃の遊びとほぼ一緒です
昭和30年代で団地のカギっ子の頃です^^
きよら
2012/10/26 13:10
この画像を見て、つくづく現代は恵まれてるなあ〜って思います。
「生きる事に必死」今の私達はこうした切羽詰まった状態を知らない世代なので、豊かさの有り難味をもっと感謝しなければいけませんね。
かみたりな
2012/10/26 13:14
にゃーちゃん さん、ようこそ。
そうですね、白黒の写真というと、時代遅れのようですが、かえって想像を刺激され、奥の深さを感じます。カラー写真はその点、印象が薄ペラというか・・・。 土門拳さんは仏像を多く撮っていましたが、モノカラーの作品に傑作が多いようです。
minochan
2012/10/26 21:04
shuuterさん、ようこそ。
教科書の墨ぬりには教師が気を使っていて、生徒にぬり残しがないか、しつこく見て回ったそうです。GHQも後でジープ連ねで各学校を視察したとか。「鐘の鳴る丘」は今もテーマソングとともに、情景が目に見えるように甦ります。
minochan
2012/10/26 21:26
はるるさん、ようこそ。
GHQというと、泣く子も黙るほど恐れられていました。ところが、GHQの委員にH・ミアーズという女史がアメリカの方針に異を唱えてマ元帥の逆鱗に触れ、女史の著作は半世紀の間発禁状態になっていました。最近その著作を読みましたが、GHQにもこんな女性がいたのですね。
minochan
2012/10/26 21:57
やろいさん、ようこそ。
「リニューアル前の東京駅」は、<全面建て替え>反対の集まりで仲間とともに描いたものです。それが<全面復旧>の姿となり、感無量です。ありがとうございました。さて、驚きました。ご主人様の名づけ親が、なんとサトウ・ハチロウさんでしたか!! 抽選とはいえ縁があってのこと、さぞ、みなさんの羨望を集められたことでしょう。
minochan
2012/10/26 22:23
こんにちは!
写真よく集めましね 買い出しの写真など よく手に入ったものと感心しきりです
おてんばの、はなあみは 馬跳びやりましたよ。竹馬お得意でした。
はなあみ
2012/10/28 10:51
黎明さん、ようこそ。
「鐘の鳴る丘」は放送劇のほか、大小の劇団が全国をまわり、たいへんな人気だったようです。ぐれた少年役が、舞台で煙草の輪を連続にして吹きあげて大喝采を浴びるなど、今では考えられないことを演じていたそうですよ(笑)。 長馬跳びは、女の子もまじって大はしゃぎしている様子を土門拳のレンズが見事に捉えています。あれは、男の子の遊びとばかり思っていましたが。
minochan
2012/10/28 21:42
火龍果さん、ようこそ。
東京駅のスケッチを気に入っていただき、ありがとうございます。大空襲前の姿にリニューアルされ、快哉を叫びました。戦争にまつわる悲惨なお話を、いつまでも続けていて恐縮です。東京地裁の裁判のことは寡聞にして存じませんが、戦争が将来に向けて公正に裁かれることを期待しています。「戦争即悪」で通り過ぎるのでなく、どうして悪なのかを糾すことがいま必要なのではないでしょうか。
minochan
2012/10/28 22:00
ねこちゃんさん、ようこそ。
あのころの子どもたちは、今と比べて遊び上手だったようですね。石けりでは石ころ一つあれば、みんなで遊べました。子どもが石けりで地面にかく○や□などは、江戸時代にやって来た宣教師がその正確さに目を丸くしたそうですよ。
minochan
2012/10/28 22:12
yasuhikoさん、ようこそ。
カツオ君、ワカメちゃんが活躍した戦後、まだ隣組が機能していましたね。いい意味で向う三軒両隣が助け合っていました。同じころ、フクちゃんが全国の人気者でしたね。しかし、両原作者が亡くなった今、さざえさんがテレビでいまだに笑を誘っていて、その息の長さに驚かされます。プロダクションがしっかりしているからでしょうか。
minochan
2012/10/28 22:32
sumireさん、ようこそ。
過分のお褒めに、恐縮しています。かくいう私は子どもの頃絵が下手で、教室に貼り出されたことは数えるほどしかありません。それでも下手の横好きというのでしょうか、飽きもせずせっせと描いていました。 新人類って言葉がありましたね。どいう意味で使われたか今は思い出せませんが、どこかユーモアさえ感じさせたものでした。
minochan
2012/10/29 14:15
きよらさん、ようこそ。
教科書の黒塗り、朝ドラでやってましたか。終戦後の本格的な授業は、まずこの墨ぬりから始めたそうです。皇族関係は一切抹消されましたが、皇国史観こちこちの教師が精神異常をきたし、ひと騒動あったと聞いています。今では秘話(悲話?)になっていますが、この期におかしくなった教師が少なくなかったそうですよ。
minochan
2012/10/29 15:02
かみたりなさん、ようこそ。
陰気な画像を並べましたが、そのように歴史的な視点で見てもらい、うれしく思います。過去があって、現在がある、この視点を忘れないようにと、ブログをやってます。親たちは必死の思いであの時代を乗り越えて、子どもたちに明日を与えました。そのうち、素晴らしいイラストにして、見せてくださいな。
minochan
2012/10/29 15:29
はなあみさん、ようこそ。
買い出しは戦時中もこっそりと行われていたそうですが、戦後配給制度が半壊してからは。誰もが買い出しに殺到。当時、ヤミ(配給外)に手を出さない検事さんが餓死して大きな反響を呼びましたが、どうやら美談に仕上げた作り話だったそうです。竹馬やりましたね。次回に「竹馬」をのせますよ。
minochan
2012/10/29 16:53
子供達の遊びは、いまや画面相手の指運動に変わってしまいました。馬跳び、懐かしいなー。その違いの大きさには恐れすら感じさせられます。今日の晩飯は玄米3割飯にシメジのオジヤ、麹納豆でした。りんごは高くて買えませんが、貧しさの中にも楽しみはあります。
kogatak
2012/10/30 22:32
kogatakさん、ようこそ。
子どもたちの遊びの様変わりには、驚くばかりですね。当時、ゴムボール一つあれば日の暮れるまでワイワイと遊びました。家でくすぶってなんかいると、外へ追い出されたくらいでした。晩ご飯はシメジと玄米入りのオジヤでしたか。素適な健康食! 昔のオジヤは飢えしのぎの文字通りの雑炊でしたが。
minochan
2012/11/05 21:55
言葉に出来ないほどの驚きとともに、この時代を語れる人たちから、多くのことを学んでおくことの大切さを改めて強く感じました。平和を守っていくためには、歩んできた歴史を知ることなのですね。
うき
2015/08/18 16:20
そうです・そうです!
こんな生活でした。
80歳より
ハッピー
2015/08/19 16:39
うきさん ようこそ。
敗戦によって、たいへんな現実を背負うことになりましたね。まず東京をはじめ目ぼしい都市は空襲で焼き払われ、そこへ外地の元兵士、旧満蒙開拓団の人たちがどっと帰ってきます。もはや生き抜くのには言語に絶する苦労があったようです。野草やイモの蔓を食べたといいます。そこから平和な日本をもたらしました。いま、過去を学ぶことの意味を70周年記念において求められているようですね。
minochan
2015/08/19 20:09
ハッピーさん ようこそ。
昭和一けた生まれのお方ですか。「軍神広瀬」の唱歌おぼえておいでしょう。先日のフェリーボートの火災で航海士のかたが、部下の安否を気遣って殉職されましたが、いまも広瀬の精神が受け継がれているように思え、感無量でした。なお、広瀬はロシア人からも尊敬されていた元在露駐在員だったそうです。
minochan
2015/08/19 20:44
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